2012年2月23日木曜日

das letzt Event

昨日は会社で自分が所属しているインターナショナルチームの今セメスター最後のイベントがありました.
その名もIndisch-Russisch-Polnisch Abend
簡単に言うと,インドとロシアとポーランドについてそれぞれの国出身の人にプレゼンをしてもらって飯も作ってもらって,ゲームとかあったらそれをやってもらうっていう感じのイベント.
とは言っても彼らみんなドイツ語ペラペラすぎるので,プレゼンではついていけませんでしたが...
ただ,インドのプレゼンはかなり強烈でした.
一つの国で数百の言語が話されているってどういうことよ.
同じ国の人と会話ができないってどういうことよ.
一年間に作られる映画の数が数千って...
免許があってないようなものって...
そして,その後に直接聞いた話だけど彼のお姉さんの結婚式に来たゲストの数が4000人って…
マジで謎の国でした.
でも面白い!!
まだ行く勇気はありませんが,いつか行ってみてもいいかもしれませんね.
準標準語として英語が話されているインドということあって,英語はペラペラ喋っていました.
ただ,インド英語笑
まだリスニング力が足りていない僕には少々大変でした.
ロシアとポーランドもなかなか興味深いもので,知らない世界もあるなーって改めて実感.
ポーランドはドイツと国境が接しているものの,東欧と位置付けられているだけあって少し違うみたい.
実際に見てないからわからないけど,すぐ隣にあるのに経済的にも文化的にも違うってやっぱり不思議.
ヨーロッパにいるとさくっと他の国に行けてしまうし国境はあってないようなものに思えるけど,そこにはやっぱり境があるんですね.

そんなプレゼンの後は軽食タイム.
ちょっと,ポーランドの飯で見た目から想像できない味がしたときはきつかったですが,おいしくいただきました.
そして,久しぶりに会った友達と喋ったり,初めて喋る人もいたり,インド人の強烈な話を聞いたり.
メチャメチャ楽しかった.
ドイツ人以外の人ももちろんいるわけで,その人たちにどれくらいドイツ語勉強したのか聞いたら自分が予想していたよりも短く,1年とか10カ月とか5年とかでした.
だけどみんなペラペラ喋ってるし,それに対して自分は4カ月しかドイツ語を勉強していないものの11カ月ドイツに住んでいるけどまだまだだなーと.
いくら,言語が大きく違うって言ってももう少し真面目に勉強していればもう少し話せたのかなーなんて思います.
使役動詞とか会話で使ったことありませんもん.
4カ月の語学学校というのは短いですが,勉強すればもうちょい話せるようになるんだなと今更になって気づく.
まぁ当たり前の話だけど,けっこうペラペラ喋っている人が予想以上にドイツ語勉強していた期間が短くてちょっとビックリしたという話でした.

最後はロシアの人が用意してくれたゲーム.
一人一人に役が与えられて,用意されたストーリーにしたがってそれを行うというもの.
ただそれだけですが,久しぶりにメッチャ笑った.

そして,最後は歌を歌う.
ロシアの歌で最初はドイツ語でみんなで.
その後は,ロシア語を.次はフランス語を.そして日本語を.
あれ...
日本語言っても日本語喋れるの自分しかおらんじゃん.
ということで,一人で聞いたことのない歌を歌う羽目に.
割と羞恥プレーでしたが,インターナショナルだし歌うっきゃないだろ!ということで.
4番まであるのに,3番で終わりを迎えました.あれ?俺はどう歌っていたのだろう.
でも,みんな喜んでくれたみたいで良かった.
最後に英語で歌っておしまい.

今回最後の催し物でしたが,いろんな人とさらに仲良くなり,喋れて本当に楽しくて素敵な時間を過ごせました.
ただ,欲を言うともっともっと話したかったな.
自分の今のドイツ語のレベルだったら日常生活には特に困らないし,なんとなーくの会話はできる.
だけど,もっと深い話をしたいっていう時には足りません.
そんな自分に合わせて話してくれる人がいてくれるからこそこういう楽しいひと時を過ごすことができるのは幸せなこと.
だけど,ここで出会って一緒に楽しい時間を共有できたみんなのことは本当に大好きです.
あとはもう少し自分頑張れって感じだけど笑

残すはお別れパーティーのみ.
寂しいなぁ.
だけど,最後に素敵な思い出作りたいですね.


その前に,最終報告書じゃい!!
一昨日らへんから上司からの要求が急激に増加して,かなりアップアップ状態です.
割とフル稼働.
久しぶりに目の前に大きな壁が立ちはだかっている感じです.
ヴルカヌスの最終報告書と会社での報告書(ヴルカヌスのやつとは全く別物)と研修を同時並行に進めるのはチト辛い.
最後まで研修をさせようと目論んでいる上司はチト辛い.
というか,ヴルカヌスの最終報告書があるので書いてもいいですか?と言って"あぁ,そうなんだー大変だねー.時間あったらいいよ"と言って課題の量を増やすあなたはドSですか?
報告書書かせてください!!いよいよ,ピンチになってきました.
ふぉぉぉぉぉぉぉぉ.
まぁ,こうなっているのも遊んでいるからなんですが!!
忙しさに負けてたまるか!!
もはや言っていることが矛盾しまくりです.
あと1カ月.頑張って乗り切ろう!!

しばらくブログはお休みします!!と思います!!

2012年2月19日日曜日

die letzte Reise

昨日同じ会社で働いている友達とチューリッヒに行ってまいりました.
彼とは彼が研修生のころから知り合いで,とても仲良くさせてもらっています.
彼はスイス出身でスイス工科大学(ETH)にも通っていたので大学見せてよー!なんて言って一緒にチューリッヒまで行って案内してもらいました.
フェリーに40分乗って湖を横断したらそこはスイス.
そこからチューリッヒまで電車で一時間でついてしまう何とも近い感じです.
スイスと言ったら緑!!というイメージでしたが,さすがヨーロッパ屈指の都市だけあって,栄えておりました.
まずは,彼の通っていたETHへ.
とても大学とは思えない感じでした.
いやゆるヨーロッパの建築物がどーん,と建っているのではたから見たらそれが大学とは思えない...(写真をあげたいのですが,ネットの調子が悪くて写真アップできません...)
学校の中にも侵入してきました.
建物の中も日本の大学とは全く違って,どこかの有名な建築物みたい.
ここは,ETHの中でも一番古い建物らしいけどちょっと感動でした.
講義棟に入ろうとしたら鍵が閉まっていて入れず...
というのも,クリスマスから来週まで学校が休みらしいので.
人も全然いませんでした.
ちなみに,夏休みも3カ月,冬休み2カ月,春休み1-2週間程度らしいです.

その後は,ETHの他のキャンパスに行ってみたけど建物内には入れず仕方がないので間隣りにあるチューリッヒ大学へ.
ここは,工学部以外の学部がある大学らしいです.
ここも,歴史がある建物で何故かサモトラケのニケの彫像がありました.
ETHは工科大学で男ばっかりなので女の子を探しにここの大学に来ることはよくあるみたいです.
工科系の大学ってどこも同じなのね.

次は街観光.
チューリッヒにはいろいろな教会があります.
ここはプロテスタント系であり,ドイツで見てきたカトリックの教会とは少し異なるものでした.
簡単に言うとシンプル.
プロテスタントではキリストやマリアの像が掲げられないらしいですが,確かに見当たりませんでした.
というか,何もなかった.そこにあるのは,椅子と花と祭壇.
その教会がもしかしたら特別かもしれないですが,それでもなんとなーくの違いを見つけることはできた気がします.
ちなみに,キリスト教に入っているとそれに対して税金とか払わないといけないらしい.
これまたヨーロッパの文化ですね.
街を歩いていて気になったのは時計が多いなぁということ.
スイスはSWATCH(時計メーカー)やロレックスなど時計メーカーが有名ですね.
時計が一つのブランドとしてあるのはこういうところから来てるのかなーなんて思ってしまいました.
そして,物価が高いったら...
ケバブですらで8€程してました...
だけど,そのかわり金持ちが多いです.
行き交う高級車たち.
メルセデス,BMW,フェラーリ... どれもかっこよかった!!
車を見ていて飽きなさそうな気がします.
スイスは住んで働くにはいいかもしれないけど,旅行するには良くないです笑

最後にFREITAGの本社を見て,Luxenburgerliを食べて帰宅.
ちなみに,FREITAGとはトラックの幌を使ってカバンとかを作っているメーカーで割と好みのタイプ.
こいつは日本に帰ったら買おう(今回は帰国に向けて荷物を減らしているので断念).
Luxenburgerliはチューリッヒ発祥のお菓子.小さいハンバーガーみたいな形で,パンに似たような生地にチョコレートが挟まった可愛いお菓子.
おいしくいただきました.

今回は旅行もそうですが,友達と一緒に話せて非常に有意義でした.
そして,僕のドイツ語力に合わせて会話をしてくれるので非常に勉強になるし楽しい一日を過ごせました.
今年の観光を目的としたたびはこれで終わりです.
あとは,オーストリアにスキーをしに行き,ミュンヘンでサッカー観戦をするくらいでしょうか.
そして,最後にブリュッセルで報告会を行い帰国.
数えてみれば,今年だけで15カ国,50以上の都市を訪れました.
似たような都市もあれば,全く違う都市もある.
陸続きで簡単に行けてしまう他の国でも,そこには違う文化があったり.
毎週末まではいきませんが,かなりの週末を違うところで過ごしていました.
とても贅沢な週末たちだったと思います.
そして,チューリッヒが最後に訪れた都市になったわけですが,ただ街並みを見る普通の観光とは違った楽しみもできたし,締めくくりによかったのではないかなと思います.
さて,これからやるやると言ってほとんど書いていない最終報告書を本格的に始めないとまずいみたいです.
ここから2週間気合入れていきましょう!

2012年2月15日水曜日

Amsterdam part2

さてさて,第二弾です.
12日(日)
良く寝つけずに起床.
前日案内してくれたおじいちゃんに博物館と,美術館を紹介してもらったのでそこに行くことに.
ここでも,足が凍ってきたのでどこか避難できるところないかなーと探していたところスーパー発見.
日曜日なのに普通のスーパーが空いているのはちょっとビックリでした.
今までヨーロッパを旅してきたけど,日曜でもスーパーが空いていたのは...
あれ,記憶がありません.
というくらいスーパーは日曜はしまっているヨーロッパ.
何か,アムステルダムは特別なものを感じます.
国立博物館に到着.

受付のお兄さんの流暢な英語と,嫌みったらしくない少し話せる丁寧な日本語を聞いて嬉しく感じるのでした.
日本語は友達に教えてもらったと言っていましたが,こうやって喋ってくれるのは嬉しい.
よく街角で"ニーハオ!"とか"コニチワ!"とか合掌しながらバカにしたような言い方で言ってくる人がいるけど,この人の日本語は心がこもっていました.

そして,博物館内には絵画から陶器,美術品など様々ありました.
美術館ではオーディオガイド(日本語あり)で回ったのですが,その美術品とともに時代背景の説明もあって非常にタメになりました.
美術品を見ながらオランダの時代背景までわかって一石二鳥.
入場料14€にオーディオガイド5€ですが,払う価値はあると思います.

さて,その次はゴッホ美術館へ.
はっきり言って自分には美術のセンスもないし,今まで美術館に行ってよくわからないで帰ってくることが多かったので行くか悩みましたが,お勧めされたので行ってみようかと.
ここでもオーディオガイド付き(日本語あり)で.
ゴッホに関する知識はほぼ0で行ったわけですが,十分楽しめました.
作品が年代ごとに展示されていて,そのころのゴッホの境遇や心境も説明されていて作品の意味などが非常にわかる展示になっていました.
そして,その年代ごとに作品から受ける印象は全く違いゴッホの気持ちをよく表していました.
今までゴッホの絵を見たことがありましたが何がすごいのか全く分からなかった.
だけど,今回ここを訪れてその作品に込められた意味,そしてゴッホについて知ることができました.
有名な画家であるとともに,壮絶な人生を送ったゴッホ.
少し身近に感じることができました.

そんなことをやっているうちに日が暮れてきたので,中心部へ.
最後に中華街で中華をたらふく食って寝台列車に乗って帰りました.
ここでもあまり寝れず,月曜の仕事は完全にコックリさんしてました.

今回,アムステルダムに行って感じたことを簡単に書いてみたいと思います.

まず,人々の差別的な冷たい視線を今まで以上に感じませんでした.
何か困っていたら,助けてくれる.
当たり前のように見えて,これって日本だとなかなか難しいこと.
でも,ヨーロッパでは割とよくある光景.
アムステルダムでも人を助ける光景は見たし,自分も人の手を借りさせてもらった.
ただ,それ以上に自分を日本人として理解してくれて,日本人としてちゃんと接してくれた.
例えば,昨日あったおじいちゃん.
彼は僕のことを"日本人だと思ったよ"と言って,接してくれました.
そして,博物館の人も日本人としての対応をしてくれた.
それは,彼らが自分たちを日本人として尊重してくれているのじゃないかなーってことだと思います.
つまり,彼らにとって僕は旅行者ではなく,アジア人ではなく,日本人であるということ.
ちゃんと,それに合った対応をしてくれるのは本当に嬉しいです.
ここだったら,日本人として生きていけるのかなーって思いました.
それに関して,中途半端に相手のことを理解しているのは相手にとって失礼にあたるのだと感じます.
例えば,よくやられるのが合掌しながらのあいさつ.
同居人にも昔合掌しながらニヤニヤしながら挨拶されました.
マジでイラっときてちょっと怒ってやったら,"日本人ってみんなこれやってるんじゃないの?テレビで見たよ"と言われました.
でも,事実やってないし他の国と一緒にされるのは嫌な気分にさせられます.
それと同じように,欧州で一つにまとめてしまいがちですがそれぞれの国でカラーは違う.
国ごとに対立してたりもする.
そんな彼らを一つに欧州とまとめてしまうのは失礼にあたるのではないかなと感じます.
彼らとよい関係を築いていくためには彼らのことを知ることから始めないといけないのかなと思います.

2012年2月14日火曜日

Amsterdam part1

さて,先週末Amsterdamに行ってまいりました.
これが今年度最後の泊まりがけの旅行.
そんな旅行でしたが,アムステルダム...良かったです!
歴史もあり,芸術もあり,人も良い,そして刺激に満ち溢れていました.

振り返ってみることにします.
書くことが多すぎたので2部構成.

10日(金)
寝台列車に乗るべく,夜に出発.
ウルムという駅で寝台列車に乗り換えるわけですが,乗り換え時間が10分しかないしドイツ鉄道お得意の遅延が怖いので一本早目の電車でフリードリヒスハーフェンを発つ.
いつも通り遅延してくれました.
5分だけど.
結局寝台列車も遅延してやってきて乗り込む.
シートが固い...なんて思いながらちょいちょい寝る.


11日(土)
アムステルダム到着.
睡眠時間が少ない割に意外に元気!
とりあえず,ホステルに直行.
Googleマップに従って行ったけど,名前が違う.
どうやら裏手にあるホステルだったみたい.
ココ,今まで泊まった中でトップ3に入るくらい快適で無かったです.
部屋に鍵もなく,何かの臭いがし,風呂トイレは8人共同で狭く汚く,階段は意味不明の角度で急で,ベッドは部屋の中に無造作に並べられているだけ.
だけど,これがアムステルダムなんだなって感じました.
他のホテルみたいに,"ホテル"として作られているのではなく,ただどこかの家を改造してホステルにした感じ.
快適ではないものの,アムステルダムの家を感じることができて満足です.
とりあえず,チェックイン的なものをすませてどこに行けばいいか聞いて街中へ.
ひたすら散歩してました.
しかし,寒すぎる...
アムステルダムは運河でも有名な街.
そんな運河ですが,今はこんな状況.
まさか,運河の上に立てるとは思っていませんでした.
運河に立てるのいいなーと思ってみていたら,近くのオッチャンが"来いよー"と手を差し伸べて運河の上に降ろしてくれました.ここから,この国の人はOpen mindだなって少しづつ感じるのでありました.
運河の上で写真を撮ってもらったりもしたのですが,その人もすごく優しくて,国民性なのかなーなんて感じます.
運河の上では,そりを楽しむ親子.スケートしながらベビーカーを押す母親.そして,お店までも出店していました.
寒すぎ!!と思っていましたが,こんな運河の上に立つなんてめったに経験できないことができて満足.そして,何よりみんな笑顔で楽しそう.
とは言っても,足の感覚が無くなってきたのでマックに避難.
その後は,オランダ・レジスタンス博物館へ.
ここでは,ナチスドイツがオランダに攻め込んできてから解放されるまでのできことが展示されています.
そして,昔に撮られた写真も多数展示してあり見たのですが外観は今ある風景なのに,そこで実際に行われていたのはユダヤ人弾圧.
場所によってはユダヤ人進入禁止のところもあったり,ユダヤ人だけのための地域もあったり.
当時,そんなことに対抗するべく多数の新聞が作成されていたのですが,それらは違法な新聞.
それでも,作り続けて処刑された若者もいたみたいです.
多くの情報が遮断された中で,情報を集めるために人々はイギリスからのラジオを聞いていたみたいです.
だけど,見つかってはいけないので本としてカモフラージュしたり,地下にもぐったり...
他の展示品として,ベビーカーを改造してそこに拳銃を忍び込ませるようにできたものがあったりしました.
今と同じ光景を見ていた数十年前のただ人種が違うだけの人たちは常に何かにおびえながら生活をしていたとは考えられません.
今はこんなにも平和なのに.
逆に言うと,70年でこんなにも変わったんですね.
今から70年後.
僕は90歳でしょうか.どんな世界が待っているのか想像つきません.

博物館を見た後は,また寒さに凍えながらアンネフランクの家へ.
今回の旅の目的!!
実際僕はアンネの日記を読んだことはありませんでしたが,アムステルダムに行きたいなーと思うようになってから,ネットでアンネフランクの隠れ家での生活に関するものを見ておきました.
予約していたチケットでささっと入場.
中に入ってみると,知識としてあったものが目の前に現実として広がっていました.
家の窓は閉じられ,人は多いけどどこかひっそりとした空間.
そう,人が多いのにとても静か.みんなが息を殺して粛々と見学をしているのでありました.
それは,ここの家に流れる空気なのでしょうか?
アンネの家は表の家と裏の家に分かれているのですが,表の家から入場.
そして,隠し扉のある本棚を通って,裏の家へ.
頭をかがめながら本棚の扉を通ると,新しい家がありました.
現在は家具とかもすべてなくなっているので,部屋の空間と多少の展示があるだけですが,予想以上に暗く狭い部屋.
ここで,物音経てずに2年間生活していたというのはどんなに辛いことであったか.
物がなくてもその雰囲気はいまだに残っていると感じました.
ホステルにあったような急な階段を上って裏の家の見学終了.
そこから,あとから作られた廊下をわたって表の家に行き,ちょっとした展示を見ることができるのですが,そこに本物のアンネの手帳が置いてありました.
とてもかわいらしい手帳.
アンネ自体もとてもかわいらしい女の子です.
そんな,アンネが可愛い手帳に綴った日記が壮絶なものであったとはとても残酷なものでした.
でも,その残された文章を少し見ることができたのですが,その文字は荒れ狂ったものではなく整然とされたもの.
アンネの夢はジャーナリストになることで,解放されたら"隠れ家"という本を書きたいとも願っていました.
そして,アンネは最後までその夢をあきらめていなかったのだと感じました.
この辛い状況の中,最後まで夢を諦めずに追い続けた少女.
実際に彼女を見ることはできなくても,アンネ・フランクがいたという証はその家にしっかりと残っていました.

すごく充実した時間を過ごして,気が付いたら夜になっていました.
夜の街をブラブラ散歩していました.
ちょっと人が少なくなったところのスポーツバーでサッカー観戦をして盛り上がる人たち.
それを見て,おもろいなーと思って笑っていたら近くにいたおじさんも笑ってこっちを見てきた.
"盛り上がってますねー"なんて話から始まり,他愛もない話を始める.
そしたら,親切にも街の案内をはじめてくれた!
1-2時間くらいかけて,夜のアムステルダムをくまなく回りました.
何気なーく通過していたCoffeeshopも実は合法的にマリファナが吸える場所だったり,いろいろ見落としていたところとか教えてもらえました.
中華街の通りの名前が中国語で書いてあったり,どこどこの店には何が売ってるだったり,アムステルダムに2件しか残っていない昔からあるハイネケンのバーだったり,飾り窓地区にある幼稚園だったり...
御年66歳なのに,よく御存じでいらっしゃる.
そして,いろいろお話を聞かせてもらいました.

アムステルダムは飾り窓地区で有名だけど,少なくともそれを良しとは思っていないみたいです.というのも,子供に対する影響から.だけど,合法であるし(昔は違法だったみたい)一種の観光スポットである以上廃止はされないでしょう.風俗街ではあるけど,観光ガイドっぽい人もいたし女性もかなり多かった.ちなみに,そこが飾り窓地区であると知らずに歩いてた時に初めて飾り窓を間隣りに見たときは正直驚きました.そして,飾り窓地区にある幼稚園.こんなところにあっていいのか,とも思いましたが夜になる前に子供を引き取りにくると言っていたので,いいのでしょう(?)
また,この人も含めてですがオランダ人は英語がとても上手です.この旅の間基本的に困ることはありませんでした.オランダ語はドイツ語と同じゲルマン系の言語.たまーに単語が一緒だったりもします.確かに,ドイツ人も英語を喋れる人は多いけどオランダの方が圧倒的.なんで,オランダの人は英語が喋れるのか聞いてみたところ,テレビやラジオにポイントがあるみたい.日本やドイツだったらニュースは現地語で流れているけど,オランダは言語の弱い国.全ての番組がオランダ語で流れてはいないみたい.海外からそのまま番組を流していてそこで英語に触れる機会が多くなるみたい.そんな日常を繰り返しているうちに英語ができるようになると.田舎に行くと英語ができる人は少なくなるみたいだけど,それでも苦労はすることは無いだろうって教えてくれました.
今までそういう話を何度か聞いたことはあったけど,実際に現地の人に聞いたのは初めてなのでかなり納得です.ちなみに,この人は仕事の関係で海外によく行ってたから英語はできるみたい.
1時間くらい一緒にビールを飲んでこの他にもいろいろお話をさせてもらって,結局は奢ってもらって...
本当に素晴らしいひと時でした.
一人旅をしていると現地の人と交流する機会が増えるしフレキシブルに動けるからよいな,と感じます.
その後は,また街を徘徊してお別れ.
"一人だと危ないから注意してね"と言われてさよならしました.
ちなみに,この人5月に日本に来るらしい.
今回僕がしたような経験を日本でもしてほしいな.
そうして,夜がふけていくのでありました.

2012年2月8日水曜日

keine Konzentration

会社では自分の作ったプログラムや計算モデルの資料作りをやっているのですが,集中力がない.
マジで,自分で病気じゃないのかって思うくらい気が付いたら他のことを考えている.
こんなんじゃいつまでたっても終わらんぞ!!
自分でも,資料作りとかパワポ作りは嫌いなのは分かってるけど,これも大事な作業.
本当に自分に喝をいれんとダメだな.

そして,先週末に回した計算が途中で落ちていた問題について,ソフトウェアの会社に電話.
上司に"時間無いから電話してもらえない?"って言われたものの,ドイツ語で電話はマジで無理と思って電話をお願いしてもらいました.
そこで,隣で上司が話しているのを聞いていたのですが,話している内容は90%は分かった.
だけど,いざ自分で話してみろって言われるとそれはまた別の話なんだろうなって思う.
こういう表現あるんだー,とかこういう時にこういうんだーとかっていうことの繰り返し.
当たり前だけど,"上司ドイツ語話してるよー.すげーなー"なんてアホなことを思っていました.
その場その場で表現を拾って理解することはできても,後で忘れてしまっているのがもったいない.
きっと,もっとドイツ語の表現とかを覚えてたらもっと覚えていけるんだろうな.
と言ってもあと1カ月ちょい.
どうなることやら.
ちなみに,今日覚えたセンテンス.
"ゾー マー ゾー ラッセン"
"そのままにしておいて.(デフォルトのままにしておいて)"
だけど,会話から拾っているのでスペルがわかりません.
というか,発音もこれであっているのか分からんが.

だけど,自分の守備範囲外の話題になると全然意味不明です.
今日は昼飯のときに上司と宗教の話をしたけど,チンプンカンプン.
寺のことを言いたくてドイツ語が出てこなかったから英語で"Temple"と言ったら,"何それ?ティッシュ?"(ドイツにTempoというティッシュがある)と言われました.
とりあえず,仏教のための建物!って言ったら理解してくれたみたいだけど,相手にとって未知の世界のことを伝えるって難しい.
そして,頑張って伝えたけど100%には伝わってないだろうな.
途中で必死すぎて自分でも何言っているか意味不明だったしな笑
また,知り合いの人からとある人物のことについて聞いておいて,と言われていたのでその人について聞いてみるもハテナの連続でした.
単語がわからなさすぎるぞ...
ちなみに,英語でも割と怪しいです.
結局何度も説明してもらって何となくの概要をつかめたもののそれでも80%くらいの理解でしょうか.
ここでも,話の内容によってはまだまだ語学力が足りないなーと感じます.
さっきも言ったけど,あと1カ月ちょい.
割と先は見えています.
だけど,"やらなきゃだめだ!"って思えただけでも大きな収穫ではないかなと思います.
語学は生涯学習.
はっきり言って自分の苦手とする分野ではあるけど,そうも言ってられないし.
でも,バリバリ英語"話せたら"かっこいいよなー.
そんな不純な動機もあったりするので,頑張れそう.
ちなみに,"話す"ってことは発音も大事だと思っています.
発音をおろそかにする人が多い気がするけど,それもすごく大事だと思う.
発音が崩壊している人の英語はマジで聞きづらいし,聞きづらいって話もよく聞くので.
というか,日本語で英語の読み方が書いてあるのがいかんと思う.
発音表記に従って発音してみると,けっこう変わるもんですよね.
自分が注意された例: bath と bus
まぁよくある例ですが,ちゃんと発音してみるとこの2つけっこう違う.だけど,両方とも"バス".
でも,こういうのって一回聞かないとわかりにくいですよね.
つまりはー... 日本でも友達探そう!

2012年2月7日火曜日

Kopfschmerzen

こんにちは.
先週末から頭がギューンって感じです.
明らかに良くない.
頭が重いって言うか,締め付けられているって言うか.

頭の働きが良くないですね.
仕事がはかどりません.
そして頭痛のせいなのか分からないですが,イライラしていたり.
会社では隠していますが,家では隠していません...
同居人に注意したことを次の日に破られるということもあり,ちょっとイッラーとしてしまった.
特に親しくなるにつれて割と隠さなくなるので,近くにいる人にとってははた迷惑な話.
別に嫌いなわけじゃないんだけど... 申し訳ないって思っています...

とにかく,何とかしたい.
なんか寒さのせいもわりとあるような気もするけど...
そんなことも言っていられないので,何とかするためには...
寝よう.

おやすみなさい.

2012年2月6日月曜日

Mittagessen

今日は昼食についてちょっと.

いつも昼食は会社の食堂で食べています.
食堂には日替わりメニューが3つと,曜日替わりメニューが1つと,スペシャルメニュー(?)が一つと,スープバー,サラダバー,ドリンクバー,パンなどがあります.
いつもは日替わりメニューを食べているのですが,これに関しては研修生は半額になるからだいたいいつも2-3€くらいでお腹いっぱい食べれるのです.
とても良い感じ.
夜ごはんはちょっと手抜きになることが多いから,いつも昼にガッツリ野菜を食べ栄養を取る感じです.

そして,昼ごはんは同僚たちがいつも決まったテーブルで食べているのでそこに合流することが多いのですが...
みんな食べるの早い...
本当に早い.
とりあえず,いつも最下位になっています.
日本でも食べるのが遅いことで有名な僕でしたが,彼らと一緒にいると焦る.
喋っていると食べることを忘れるので気が付いたらみんな食べ終わってるのに自分一皿残っているということも.
そこから,もう必死に黙々と詰め込み作業が始まるわけですが.
というわけで,"みんななんでそんな食べるの早いの?"と聞いてみたところ"次にやることが待ってるからねー.あとは,カフェ(コーヒー)飲みたいし.でも,食べるのが早いのは社食だけで家ではみんな食べるのは遅いのよ"なんて教えてくれました.
確かに,いつも飯終わった後は数人からカフェ行きたいオーラ出してるし,あまりにも食べるのが遅い人がいたら待たずに行っちゃうしね笑
でも,食べた後もみんなでその場でダラダラ喋ったりするこもとあったりするのでよくわかりませんが.
カフェ部隊以外は,飯をパパって食ってすぐ仕事!!って人もけっこういるので,昼の休憩時間をあまりとってない人は多いみたいです.
仕事熱心だなぁと思えば,何かあると(例えば,誰かの誕生日の時の朝食会)カフェを飲みながらダラダラと話すのでありました.

そんな彼らを見ていると話すときは話す,仕事するときは仕事する,という感じなのかなとも思うのでありました.
つまり,仕事場での彼ら→仕事するorカフェor話す
話すことは彼らにとっては大事なことだなとも思うのです.

まぁ,最終的に何が言いたかったかというと.
昼飯ゆっくり食いたい!!

2012年2月5日日曜日

kalte Woche

最近さむい日々が続いております.
朝起きると-15℃とかになっていたりして,割と会社に行く気力が...
会社に行くのにだいたい5回くらい挫折しそうになっています.
この寒波,早く終わってくれるといいなぁ.
割と辛い.
割と引きこもりたい.
そんな気持ちです笑
あと,1週間くらいで温度がプラスにいくことを祈ることにします.
くっそぉ,もう寒さの峠は越えたと思っていたのに本格的なものがここになってきた...
でも,これを超えればあとは暖かくなるだけなはず!
春が待ち遠しい!

ここ最近はずっと日本に帰った時の家探しをしていました.
しかし,帰ってから探すという悠長なこともできずにインターネットを見ながら親と相談する毎日.
自分は衣に関しては人並みで,食にはあまりこだわらない人だけど,住にはかなりこだわる人なのでかなり苦労しています.
とりあえず,今日家を決めたので明日業者に問い合わせてまだ空きがあったら家探しは終わりです.
日本に帰る準備を着々と,という感じですね.
まだ終わりではないけど,終わりが割と見えてきて焦り,不安,寂しい,楽しみ...といろいろな感情が入り混じっています.
そして,そろそろファイナルレポートに手をつけなければ.
土日は割と予定がつまっていたりするので,あとから焦ら無いように今からね.
と言っておかないと絶対にやらないので...


昨日は語学学校のときに同じクラスで仲良しだった友達に会いにスイスのバーゼルに行ってきました.
ここのバーゼルという街はドイツ,フランス,スイスの国境にある街で,なかなか面白い位置にあります.
そしてスイスの公用語はドイツ語,フランス語,イタリア語,ロマンシュ語の4カ国後.すごい国だ...
ちなみに,スイスのトラムのアナウンスではドイツ語,フランス語,英語の順にアナウンスが流れるのでありました.
ドイツのバーゼルで電車を降りて駅を歩いていると国境と書かれた場所があり,初めて歩いて国境をまたぎました.
ここら辺で,かなりテンションあがっています.
そこの駅からバスで10分ほど行ったスイスの駅で友達と待ち合わせ.
バスを降りて駅に向かうとそこには懐かしの友達が!!
相変わらず元気そうで,いつも通り笑顔で迎えてくれました.
久しぶりに会ったけど,昔のままで嬉しかったです.
そして,彼は他の町に住んでいるのだけれども今日の為に先週も来て一度ザーッと回ってくれていたみたい.
本当にその優しさにホロリでした.
地図が読めずに迷う彼と一緒に街を散歩しながら大聖堂を見て,塔に登ったりして,川沿いを歩いて,船に乗って,ラーメンを食べたりしたのでありました.
しかし,彼のフレンドリーさは健在で誰に対しても"Hallo!!"と明るく挨拶.
本当に,誰に対しても.
すごい純粋だなーと思うとともに一緒にいてとても気持ちが良いのでありました.
彼はまだ17歳であるけれども,尊敬できるところもあるし,決して年下とは思っていません.
というか,向こうも僕のことをいじってくるし,本当に対等な関係でこちらとしても気が楽です.
これはヨーロッパの人一般的に言える話かもしれないですね.
上司,部下とかでも話すときはみんな対等に喋っているし,フレンドリーでとても良い関係が築けていると思います.
人と人との距離が近いヨーロッパの人って話していて楽しい.
少し話がそれましたが,そんな彼がいたおかげで語学学校でも楽しい思い出が作れたし,感謝感謝.
帰りは,彼が電車の時間を調べてくれたのですが駅員(ドイツ語,フランス語,英語ができる!)とはフランス語で喋り,それを僕にドイツ語で通訳してくれるという謎の事態.
あれ?これ,俺がドイツ語でそのまま話せばよくない?ということになったりしながらも帰宅.
見事に電車に乗り遅れました.
駅に着いたら,電車発車していた.


スイスに行った感想は,やっぱり人が優しい.
なんなんだろう.
実際,自分の友達で多いのはスイス出身の人だし,彼らは皆優しい.
経済的に裕福だからなのだろうか.
心のゆとりを感じます.
そして,言語能力が高い.
道に迷って,友達がおじいちゃんとおばあちゃんのカップルに道をドイツ語で聞いたときでも,彼がフランス語を話せるのがわかった途端に流暢な(分からないが,ペラペラだった)フランス語で話し始める.
いくつもの言葉が入り乱れる国だからこそなのかもしれないですが,本当に唖然とさせられました.
そして,非常に親切で...
ここの国は物価があり得ないくらい高い(バーガーキングのホッパーが650円!!)ことを除けば大好きです.


久しぶりにその友達と話したわけですが,彼はスイスのフランス語圏に住んでいるためほとんどドイツ語は使ってないらしく,前みたいに話すことはできなくなっていて自分自身にイライラしていることがけっこうあったり.
それは,話す機会が無いから.
もし自分が日本に帰ったらそういう機会を見つけようとしなければ周りにドイツ語を話す機会なんてほぼ0だと思います.
そしたらそのままドイツ語を忘れていくことになるでしょう.
でも,そうした時にコミュニケーションが取れなくなる友達もいっぱいいるのかなと.
この一年辛いこともいっぱいあったけど,彼らがいたから楽しいこともいっぱいあったなって思うこともできる.
そんな彼らと話せなくなるのは本当に寂しい話.
日本に帰ってからもドイツ語を忘れない程度でいいから少しずつでも続けていけたらなぁと感じるのでありました.