2012年2月14日火曜日

Amsterdam part1

さて,先週末Amsterdamに行ってまいりました.
これが今年度最後の泊まりがけの旅行.
そんな旅行でしたが,アムステルダム...良かったです!
歴史もあり,芸術もあり,人も良い,そして刺激に満ち溢れていました.

振り返ってみることにします.
書くことが多すぎたので2部構成.

10日(金)
寝台列車に乗るべく,夜に出発.
ウルムという駅で寝台列車に乗り換えるわけですが,乗り換え時間が10分しかないしドイツ鉄道お得意の遅延が怖いので一本早目の電車でフリードリヒスハーフェンを発つ.
いつも通り遅延してくれました.
5分だけど.
結局寝台列車も遅延してやってきて乗り込む.
シートが固い...なんて思いながらちょいちょい寝る.


11日(土)
アムステルダム到着.
睡眠時間が少ない割に意外に元気!
とりあえず,ホステルに直行.
Googleマップに従って行ったけど,名前が違う.
どうやら裏手にあるホステルだったみたい.
ココ,今まで泊まった中でトップ3に入るくらい快適で無かったです.
部屋に鍵もなく,何かの臭いがし,風呂トイレは8人共同で狭く汚く,階段は意味不明の角度で急で,ベッドは部屋の中に無造作に並べられているだけ.
だけど,これがアムステルダムなんだなって感じました.
他のホテルみたいに,"ホテル"として作られているのではなく,ただどこかの家を改造してホステルにした感じ.
快適ではないものの,アムステルダムの家を感じることができて満足です.
とりあえず,チェックイン的なものをすませてどこに行けばいいか聞いて街中へ.
ひたすら散歩してました.
しかし,寒すぎる...
アムステルダムは運河でも有名な街.
そんな運河ですが,今はこんな状況.
まさか,運河の上に立てるとは思っていませんでした.
運河に立てるのいいなーと思ってみていたら,近くのオッチャンが"来いよー"と手を差し伸べて運河の上に降ろしてくれました.ここから,この国の人はOpen mindだなって少しづつ感じるのでありました.
運河の上で写真を撮ってもらったりもしたのですが,その人もすごく優しくて,国民性なのかなーなんて感じます.
運河の上では,そりを楽しむ親子.スケートしながらベビーカーを押す母親.そして,お店までも出店していました.
寒すぎ!!と思っていましたが,こんな運河の上に立つなんてめったに経験できないことができて満足.そして,何よりみんな笑顔で楽しそう.
とは言っても,足の感覚が無くなってきたのでマックに避難.
その後は,オランダ・レジスタンス博物館へ.
ここでは,ナチスドイツがオランダに攻め込んできてから解放されるまでのできことが展示されています.
そして,昔に撮られた写真も多数展示してあり見たのですが外観は今ある風景なのに,そこで実際に行われていたのはユダヤ人弾圧.
場所によってはユダヤ人進入禁止のところもあったり,ユダヤ人だけのための地域もあったり.
当時,そんなことに対抗するべく多数の新聞が作成されていたのですが,それらは違法な新聞.
それでも,作り続けて処刑された若者もいたみたいです.
多くの情報が遮断された中で,情報を集めるために人々はイギリスからのラジオを聞いていたみたいです.
だけど,見つかってはいけないので本としてカモフラージュしたり,地下にもぐったり...
他の展示品として,ベビーカーを改造してそこに拳銃を忍び込ませるようにできたものがあったりしました.
今と同じ光景を見ていた数十年前のただ人種が違うだけの人たちは常に何かにおびえながら生活をしていたとは考えられません.
今はこんなにも平和なのに.
逆に言うと,70年でこんなにも変わったんですね.
今から70年後.
僕は90歳でしょうか.どんな世界が待っているのか想像つきません.

博物館を見た後は,また寒さに凍えながらアンネフランクの家へ.
今回の旅の目的!!
実際僕はアンネの日記を読んだことはありませんでしたが,アムステルダムに行きたいなーと思うようになってから,ネットでアンネフランクの隠れ家での生活に関するものを見ておきました.
予約していたチケットでささっと入場.
中に入ってみると,知識としてあったものが目の前に現実として広がっていました.
家の窓は閉じられ,人は多いけどどこかひっそりとした空間.
そう,人が多いのにとても静か.みんなが息を殺して粛々と見学をしているのでありました.
それは,ここの家に流れる空気なのでしょうか?
アンネの家は表の家と裏の家に分かれているのですが,表の家から入場.
そして,隠し扉のある本棚を通って,裏の家へ.
頭をかがめながら本棚の扉を通ると,新しい家がありました.
現在は家具とかもすべてなくなっているので,部屋の空間と多少の展示があるだけですが,予想以上に暗く狭い部屋.
ここで,物音経てずに2年間生活していたというのはどんなに辛いことであったか.
物がなくてもその雰囲気はいまだに残っていると感じました.
ホステルにあったような急な階段を上って裏の家の見学終了.
そこから,あとから作られた廊下をわたって表の家に行き,ちょっとした展示を見ることができるのですが,そこに本物のアンネの手帳が置いてありました.
とてもかわいらしい手帳.
アンネ自体もとてもかわいらしい女の子です.
そんな,アンネが可愛い手帳に綴った日記が壮絶なものであったとはとても残酷なものでした.
でも,その残された文章を少し見ることができたのですが,その文字は荒れ狂ったものではなく整然とされたもの.
アンネの夢はジャーナリストになることで,解放されたら"隠れ家"という本を書きたいとも願っていました.
そして,アンネは最後までその夢をあきらめていなかったのだと感じました.
この辛い状況の中,最後まで夢を諦めずに追い続けた少女.
実際に彼女を見ることはできなくても,アンネ・フランクがいたという証はその家にしっかりと残っていました.

すごく充実した時間を過ごして,気が付いたら夜になっていました.
夜の街をブラブラ散歩していました.
ちょっと人が少なくなったところのスポーツバーでサッカー観戦をして盛り上がる人たち.
それを見て,おもろいなーと思って笑っていたら近くにいたおじさんも笑ってこっちを見てきた.
"盛り上がってますねー"なんて話から始まり,他愛もない話を始める.
そしたら,親切にも街の案内をはじめてくれた!
1-2時間くらいかけて,夜のアムステルダムをくまなく回りました.
何気なーく通過していたCoffeeshopも実は合法的にマリファナが吸える場所だったり,いろいろ見落としていたところとか教えてもらえました.
中華街の通りの名前が中国語で書いてあったり,どこどこの店には何が売ってるだったり,アムステルダムに2件しか残っていない昔からあるハイネケンのバーだったり,飾り窓地区にある幼稚園だったり...
御年66歳なのに,よく御存じでいらっしゃる.
そして,いろいろお話を聞かせてもらいました.

アムステルダムは飾り窓地区で有名だけど,少なくともそれを良しとは思っていないみたいです.というのも,子供に対する影響から.だけど,合法であるし(昔は違法だったみたい)一種の観光スポットである以上廃止はされないでしょう.風俗街ではあるけど,観光ガイドっぽい人もいたし女性もかなり多かった.ちなみに,そこが飾り窓地区であると知らずに歩いてた時に初めて飾り窓を間隣りに見たときは正直驚きました.そして,飾り窓地区にある幼稚園.こんなところにあっていいのか,とも思いましたが夜になる前に子供を引き取りにくると言っていたので,いいのでしょう(?)
また,この人も含めてですがオランダ人は英語がとても上手です.この旅の間基本的に困ることはありませんでした.オランダ語はドイツ語と同じゲルマン系の言語.たまーに単語が一緒だったりもします.確かに,ドイツ人も英語を喋れる人は多いけどオランダの方が圧倒的.なんで,オランダの人は英語が喋れるのか聞いてみたところ,テレビやラジオにポイントがあるみたい.日本やドイツだったらニュースは現地語で流れているけど,オランダは言語の弱い国.全ての番組がオランダ語で流れてはいないみたい.海外からそのまま番組を流していてそこで英語に触れる機会が多くなるみたい.そんな日常を繰り返しているうちに英語ができるようになると.田舎に行くと英語ができる人は少なくなるみたいだけど,それでも苦労はすることは無いだろうって教えてくれました.
今までそういう話を何度か聞いたことはあったけど,実際に現地の人に聞いたのは初めてなのでかなり納得です.ちなみに,この人は仕事の関係で海外によく行ってたから英語はできるみたい.
1時間くらい一緒にビールを飲んでこの他にもいろいろお話をさせてもらって,結局は奢ってもらって...
本当に素晴らしいひと時でした.
一人旅をしていると現地の人と交流する機会が増えるしフレキシブルに動けるからよいな,と感じます.
その後は,また街を徘徊してお別れ.
"一人だと危ないから注意してね"と言われてさよならしました.
ちなみに,この人5月に日本に来るらしい.
今回僕がしたような経験を日本でもしてほしいな.
そうして,夜がふけていくのでありました.

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